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おがさわら丸に乗り込んだあの日(その2)

2016年09月29日 10:45

「もう後には引けない」

 旅行で訪問したのが4月、実際に赴任したのが3カ月後の7月下旬でした。おがさわら丸に乗り、遠ざかる羽田空港、横須賀市街や鋸山を見ながら、「次はいつ東京へ戻ってこれるのか」「未経験も同然な自分が、離島でやっていけるのか」という不安を感じましたが、それ以上深く悩み込むことはありませんでした。そうこうしてるうちに翌日、父島に到着。出迎えの人々が持つ宿や店のプラカードの中に、診療所と自分の名前の書かれたプラカードを見つけたとき、歓迎されてるんだし、もう後には引けない、ここで生きていくしかないと、改めて感じました。

 到着後早速、迎えの事務さんといっしょに診療所に行きました。職員さんは小笠原諸島出身の方は少なく、ほとんどが本土から来た方でした。僻地にありがちな排他的な雰囲気もなく、そういう部分のストレスを感じることはありませんでした。また、前任の薬剤師さんと数日いっしょに仕事をして、色々教わることができたのは、非常に有難かったです。これが無かったら、今もまともに仕事できていたかわかりません。

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父島二見港の裏、大神山展望台から見た父島の町並み。欧米系の島民も多く、また米軍統治時代を経ているせいか、町並みはどことなく日本とは異なる。島内には生協とスーパーが各一軒あり、おがさわら丸入港日は大混雑する。天気のよい日の海の色はすごくきれいで、まるで別世界にいるかのよう。

がらんどうの部屋で始まった小笠原サバイバル生活

 生活面は、最初は大変でした。小笠原の場合、村職員は職員住宅があてがわれます。ところが、家が決まったのが出発直前で、しかも翌日から世間は三連休。引っ越し屋には「小笠原はエリア外です」と断られ続け、結局宅急便で荷物を出したのですが、発送が遅れて次便になってしまいました。つまり5日ほど、父島で真夏の冷房も家具も何にも無い部屋に私は一人。持ってきた寝袋を敷いて、2Lのペットボトルに水を入れたものを枕にして寝ました。外食は店を知らず、家に冷蔵庫など無いので食事はスーパーで買った饅頭で糖分、缶詰でタンパク質、野菜類は持ってきた粉末青汁で取る始末。ゆうパックやヤマト便以外は、入港日に荷物を受け取れない、中継料がかかるなど、今では常識なことも、当時は全然わかりませんでした。

 動くと暑いので家ではなるべく動かないようにして、30分おきに水風呂につかり、濡らした服を着て熱中症を予防したりしました。真夏で冷房のない父島最初の二週間が、今のところ人生で一番過酷な環境での生活でした。職員住宅は居住者がみんな職場の人なわけですが、数日でそこまで仲良くなれるほどの社交力は私にはなく、さすがにこのときばかりは心が折れそうになったものです。幸いだったのは、多客時で船が着発(つまり週に2便あった)期間中だったことです。でないと10日間ほどこんな生活を続けることになって、体調を崩していたかもしれません。

少しずつ生活が整い、仕事にも慣れ、小笠原の医療を思うように......

 次便で荷物が届き、月末に前任の薬剤師さんから家電や車をもらい、月が替わってネット回線が稼働して通販ができるようになり、布団やエアコンなどが届いて、人並みに生活できるようになったのは、8月の半ば頃でした。仕事にはなかなか慣れず、最初の頃はよく失敗もしました。ただ、今思えば未経験も同然だったのが、かえって良かったかもしれません。経験から来る変な先入観が無かったので、比較的すんなり仕事に入っていけた部分はありました。仕事も一通りこなせるようになり、気持ちに余裕が出てきて、小笠原の医療を良くして行こうなどと考えられるようになるには、数か月かかりました。

 以上、小笠原に着任したときのことを書きましたが、慣れない環境でも周囲の協力もあって、こうして今まで曲がりなりにもやってこれたし、自分にとっては全ての経験が貴重だったと思います。今では週に一回しか物資が島に届かないのが当たり前になってしまい、休暇などで上京したときは、都内スーパーの品ぞろえの良さや、生鮮品が常に並んでいることに衝撃を受けます。例えば納豆、豆腐、餃子の皮、牛乳、生麵、葉野菜といったモノは、小笠原の場合は入港日にしか買えないことが多く、物価も高いです。けれども、通販は可能ですし、こちらの感覚に馴れたせいか、そこまで不自由を感じることもありません。今回はあまり医療とは関係のない「初めての離島体験談」ですが、これをきっかけに離島医療に関心を示していただける読者が増えれば、私としては非常に嬉しく思います。

【コラムコンセプト】
 僻地や離島の薬剤師業務って、給料は高いだろうけど、周りに何にもない不便な所で大変そうなイメージがある。それに不便な地で「生活」もしていかなければいけないから結構な覚悟が必要そうだ。......けど実際のところはどうなの?そんな興味と疑問を併せ持つ薬剤師のために、日本で最も行きにくい離島で働く薬剤師が送るコラム連載。良い面悪い面全てを含め、離島におけるありのままの薬剤師業務や生活を、面白おかしくお伝えしていけたらと考える。堅苦しい薬の記事の合間にここを読めば、「私は都会でないと無理だ...」と思っている人も、(保証はできないが)案外すんなり僻地でもやっていけるかもしれない。

【小西良典氏 プロフィール】cfe16ed4007e8fd8d26248d6a2afad043c7a3e9f.jpg
 大学卒業後薬学部ではなく理学部の大学院に進学。博士課程を中退。その後、ドラッグストアなどで働きながら全国を旅する生活を続けて8年あまりのある日、旅行先の小笠原村が薬剤師を募集していることを知り、勢いで出願。見事採用され、以後、父島の診療所に勤務。旅行経験から、全国どこの街でも道に迷わない自信がある。趣味は工作、パソコン、料理、ロシア語など多数。最近は、毎日録画をしている昼の映画や海外ドラマを片付けるだけで週末が終わっていく。

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