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熱性痙攣の夜

2016年12月21日 08:30

 冬の感染症シーズンがやってきた。インフルエンザ、ノロ、ロタ、RSウイルスなどが猛威を振るう時期になると、母親薬剤師は激増する処方箋と格闘する一方、もし自分の子供が感染したら......と、戦々恐々としている。そして、実際に罹患してしまえば、なんとか早く治してやりたいと気をもみ、薬や食事などあれこれと手を尽くす。しかしそれが必ずしも回復を早める役には立たないことに、また一段と落胆する心境に閉じ込められてしまうのである......。

 子供が1歳半の冬、日曜の夕方のこと。午前中から昼過ぎまでは普段通りの様子だったが、妙に昼寝が長い。夕方の5時過ぎだというのに、まだウトウトとして、再び眠ってしまいそうになる。特に具合が悪そうには見えないが、念のために熱を測ってみた。

「えっ、39℃?」
「本当に? もう一回測ってみたら?」
などと夫と言い合っていると、突然 「ギャーッ!」
火がついたように泣き出したかと思うと......

「あっ!」
ガクガクと、子供が痙攣を起こした。熱性痙攣だった。

 私も、子供を抱っこしている夫も、突然の出来事に言葉も出ない。チアノーゼを起こしているのか、唇の血色がひどく悪い。痙攣は数分ほどで治まり、顔色も元に戻ったが、子供はややぐったりとして反応も薄い。

「病院、連れて行こう」

 子供は夫に抱っこさせたまま、わたわたと母子手帳ケースを引っ張り出してきて、小児科医が常駐している救急病院へ向かった。休日の夜で、病院は混雑していた。1時間半ほど待って小児科医の診察を受け、おそらく風邪と熱性痙攣だろうとのこと。ムコダインやアンヒバなどを処方されて帰宅した。

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 その夜は、何度か夜中に目が覚めた。また子供が痙攣を起こすんじゃないか、ほとんど水分もとらずに寝てしまったけど脱水症状とか起こさないだろうかと、とにかく心配で仕方がなかった。

 熱性痙攣の直前まで子供の異変に気づかなかった自分の迂闊さを呪った。とうとう真夜中に寝室の明かりをつけて熱をはかり、やはり高かったのでアンヒバを入れた。それでも、どうにも眠りが浅くて、寝付けなかった。

 何かもっと他にしてやれることがあるんじゃないか?などと、あれこれと心が迷うばかりだった。

 だが、ふと寝室の暗がりの中で、最近読んだ本の内容を思い出した。『真言宗のお経』という本に書かれていた般若心経の解説だった。

「無無明亦無無明尽(むむみょうやくむむみょうじん)」
 --無明(煩悩)もなく、無明(煩悩)の尽きることも無い

 ああ、今の私はまさしくこれだ。病を治すためにあれこれしてあげたいと願う気持ち(煩悩)は際限なく膨らみ、流されるばかりできりが無い。けれど、無明が尽きることがないのなら、それは無明がないのと変わらないのではないか。

 「いま、この子にとって一番良いことは、寒い夜中に無理やり病院に連れて行くことではない。今はこうして寝かせてやって、回復までの時間を過ごす以外にないんだ」自分にそう言い聞かせて、眠ることにした。

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 薬剤師である私ですら、このていたらくだ。一般の母親だったら、もっと不安を感じているかもしれない。その不安を解消するために夜間小児科救急に駆け込んでしまう人もいるだろう。

 これほど医学が発達しても、「あとは経過を見るしかない」状況はある。診断がつき、処置と投薬が終われば、回復までの時間経過を待つ以外にできることは何もない。それ以上のことをしようとすれば、母親も、小児科医療の現場も、いたずらに疲弊するだけだ。

 我が子の病に不安でいっぱいの母親に、「待つしかない」状況はいっそう苦しいだろう。時計の針を無理やりに進めて、あっという間に元気な我が子にしてくれる魔法があれば、どれほど良いだろうか。

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 「何かもっと子供のためにしてやりたい」と思う切実な母の思いは、否定できるものではない。それを「煩悩」と呼ぶのに語弊があるならば、「子煩悩」と置き換えればよい。それを愚かだと否定するのはあまりに酷だ。

 しかし、「それこそが母の愛だ」と盲目的に礼賛するべきでもない。なぜなら、それは母を無明(煩悩)の闇に縛りつけることだからだ。「いかなる時でも母親が細心の注意を払い続けなければ、かけがえのない子供の命が失われてしまうのではないか?」そんな底なしの不安と重圧の中に、母親を閉じ込めることになるからだ。

 耐え難い重圧に押しつぶされそうな母親が、不安を無批判に受け入れてくれる先を求めて非科学的な代替医療に走る例も少なくない。不安な気持ちに尽きることなどない。だが、それに気づけば、「心配しても仕方のないことまで心配してしまっている」自分を客観視できる。

 医療従事者の側も「ああ、母親とはそういうものなのだな」とただ認識することで、いくらか対応が楽になるだろう。
 一晩越えて朝が来れば、子供は確実に回復へと近づく。親がそう信じて、少しでも気持ちが休まるようにサポートするのも医療従事者の使命だ。

 ともすれば無明(煩悩)の闇をどこまでも落ちてゆきかねない心理を知ること。まずそこから始めることで、母親の安心につながるコトバも生まれてくるのではないだろうか。

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【コラムコンセプト】
仕事に家事に育児と、目まぐるしい日々を送る母親薬剤師。新薬や疾病の勉強もしなきゃいけないが、家のことだっておろそかにできない。追い立てられるように慌ただしい毎日だ。そんな中で、ふと立ち止まり、考える。「働く母親って、どうしてこんなにいろんなものを抱え込んでしまっているんだろう?」「薬剤師の業務って、どうしてこんなふうなんだろう?」忙しさに紛れて気付けずにいる感情に気付いたら、働く母親に見える景色はきっといくらか変わるだろう。日常の業務に埋もれたままの何かを言葉にできたなら、薬剤師を取り巻く世界も少しずつ変えていけるだろうか。


【へたれ薬剤師Kiko プロフィール】Hetare_kiko_columm.png

卒後9年間病院勤務ののち、結婚を機に夫の地元で調剤薬局に転職。産休育休を経て、現在は中規模チェーン薬局にフルタイムで勤務。アラフォー。8歳の息子、夫(not薬剤師)と3人暮らし。食事は手抜き。洗濯は週3回。掃除はルンバにおまかせ。どういうわけだか「コトバ」に異様にこだわる。座右の銘は「モノも言いようで門松が立つ」。(Twitter:@hetareyakiko)

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