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おおきくなったら何になる?

2017年08月23日 08:00

その日の夕方、めずらしく薬局はすいていた。のんびり錠剤じょうざい補充ほじゅうをしていると、事務員じむいんのFさんがびに来た。

「kikoさん、調剤室ちょうざいしつの中を見たいってお子さんがいらっしゃるんですが...」待合室まちあいしつに行ってみると、さっき薬を渡し終えた、小学校低学年くらいの男の子と母親らしき女性がいた。ちょっとやんちゃそうな雰囲気ふんいきの男の子を、お母さんが薬の入ったレジぶくろを手にしたまま後ろからきかかえるようにしてソファにすわっている。その仕草しぐさが「こらっ!ウロチョロしたらダメ!」としょっちゅう言い聞かせている様子を彷彿ほうふつとさせた、というのは考えすぎだろうか...。

「ごめんなさいね、この中はスタッフ以外は入れないんですよ」申し訳なく答える私に、お母さんの方も申し訳なさげに頭を下げた。

「やっぱりそうですよね、すみません。この子、薬剤師やくざいしになりたいって言い出して...ほら、どうやったらなれますかって聞いてみたら?」ところが、お母さんにうながされた男の子は急にずかしくなったのか「ええ~?」と母親のひざの上でモジモジしている。

だが、私の方も、いきなりの問いかけに答えにきゅうしてしまった。

「ええと、そうですねえ...」

薬剤師やくざいしになって20ウン年。薬学部は6年制になり、新設校しんせつこうも増えて、私の時代とはあまりにも状況じょうきょうが変わってしまっている。うちの子供が受けるとしてもまだ先の話で、受験事情じじょうにはすっかりうとくなってしまっていた。しかし、ここはひとつ、あこがれの職業しょくぎょうという立場から何か指針ししんになることを言ってあげたい、のだが...。

「...やっぱり、お父さんお母さんや先生の言うことをよく聞いて、学校の勉強もきちんと頑張がんばるのが大事じゃないかな?」苦しまぎれに口から出てきたのは、そんなありきたりのセリフだった。

ほら〜、ね? やっぱりそうでしょ?ひざの上にが子に向かってお母さんが言った。

それを見た瞬間しゅんかん「しまった...」と思った。こんなのは、やんちゃな子供が大人の言うことをちゃんと聞いて、良い子になってもらいたいという「大人の理屈りくつ」だ。薬剤師やくざいしになるにはどうしたらいいか、という疑問ぎもんに対する答えではない。

せっかく薬剤師やくざいし興味きょうみいだいてくれたのにーー

「あ、そうだ」帰ろうとする母と子に、あわてて声をかける。「うちの店舗てんぽじゃないんですけど、こういうイベントがあるんです」来月、他の店舗てんぽで『こども薬剤師やくざいし体験』を開く予定で、宣伝せんでんチラシがとどいていたのだ。

わー!薬剤師やくざいしになれるのー!やったー!!

「定員があるので、たぶん抽選ちゅうせんになると思うんですけど、もしよかったら申しんでみてください」

チラシを手にした親子が薬局を出てからも、私の中にはもやもやしたものが残っていた。

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「ちゃんと勉強して、教師きょうしや親のいうことをよく聞いて」随分ずいぶんと『大人に都合のいいこと』を言ってしまったものだ。自分の答えがどうにも気に食わなかった。

どうしたら薬剤師やくざいしになれるのか?それは、「薬剤師やくざいしになるには、何が必要なのか」という問いでもある。その答えは、到底とうていひとことで答えられないし、人によっても答えは変わるだろう。だが私が答えるとしたら、それはやはり「薬剤師やくざいしとして使える『言葉』を持つこと」だろうか。

正しく安全に薬を使ってもらうために、誤解ごかいのないよう分かりやすく伝える言葉。

薬の作用機序きじょ疾患概念しっかんがいねんを、専門知識せんもんちしきのない患者かんじゃさんでもに落ちるような説明ができる言葉。

あるいは、患者かんじゃさん自身が、自分の中の疑問ぎもんや不安に気づけるための言葉。

病気に対して向き合って生きる、あるいは心身の不調にとらわれぎてしまわないための言葉。

それは、医学的妥当性だとうせいやガイドライン通りのものとはかぎらない。患者かんじゃさんの性格せいかくや、経済的状況けいざいてきじょうきょう、人生観などに合わせて変わるはずだ。

だが、言葉とは言っても、舌先三寸したさきさんずんで言いくるめたり、ごまかしたりするのであってはならない。古い知識ちしきや思いみだけでは適切てきせつ情報提供じょうほうていきょうはできない。薬学的知識を日々、更新こうしんしていくことが必要だ。さっきの私が、薬学部の受験事情を知らなかったせいで、ありきたりなセリフでごまかしてしまったのと同じことになる。

患者さんとくすりを正しくつなぐ『言葉』をさがし、作ることーー

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「てなことを考えたんだけどね」夕食の片付かたづけをしながら、その日の出来事を私は夫に語った。

「ふ~ん。けど、『どうすれば薬剤師やくざいしになれますか』って聞いてきた子に、言葉がどうのって話をしてもピンとこないんじゃないかなあ」

「まあ、そうだよね。大人だってポカーンとしちゃうよね」

何か人とはちがうことを言ってやりたい、とばかり考えていた自分に気づかされた。「いいこと言ってやった!」という満足をるために患者かんじゃさんはいるのではない。言いたいことを言うのと、言うべきこと、伝えるべきことを伝えるのとはちがう。

だがそれとは別に、やはり薬剤師やくざいしとして患者かんじゃさんと薬をうまくつなげるための言葉を私は考え続けたいーー

「ごちそうさまー!」夕食を食べ終えて、台所へ食器を下げに来た息子に私は聞いてみた。「ねえ、大きくなったら何になりたい?」

「ん~とね、ユーチューバー!」

私の質問しつもんにそう答え、息子は綺麗きれいに平らげた食器だけを残してリビングへ向かうと、iPadのパスワードロックを外してYouTubeでドラクエ最新作の実況じっきょうプレイ動画を見始めたのだった。

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【コラムコンセプト】
仕事に家事に育児と、目まぐるしい日々を送る母親薬剤師。新薬や疾病の勉強もしなきゃいけないが、家のことだっておろそかにできない。追い立てられるように慌ただしい毎日だ。そんな中で、ふと立ち止まり、考える。「働く母親って、どうしてこんなにいろんなものを抱え込んでしまっているんだろう?」「薬剤師の業務って、どうしてこんなふうなんだろう?」忙しさに紛れて気付けずにいる感情に気付いたら、働く母親に見える景色はきっといくらか変わるだろう。日常の業務に埋もれたままの何かを言葉にできたなら、薬剤師を取り巻く世界も少しずつ変えていけるだろうか。


【へたれ薬剤師Kiko プロフィール】Hetare_kiko_columm.png

卒後9年間病院勤務ののち、結婚を機に夫の地元で調剤薬局に転職。産休育休を経て、現在は中規模チェーン薬局にフルタイムで勤務。アラフォー。8歳の息子、夫(not薬剤師)と3人暮らし。食事は手抜き。洗濯は週3回。掃除はルンバにおまかせ。どういうわけだか「コトバ」に異様にこだわる。座右の銘は「モノも言いようで門松が立つ」。(Twitter:@hetareyakiko)

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