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たったひとつの小さな勝利

2017年12月21日 08:00

 薬局に勤める薬剤師なら、処方箋を持ってきた患者さんには必ずこう聞くだろう。

お薬手帳はお持ちですか?

 患者さんは、当然すぐにバッグの中から手帳を出してくれる...とは限らない。

「今日は忘れてきちゃった。シール貼っておくから、ください」 

 ...まあ、「忘れたからシールください」という答えが返ってくるということは、「貼っておいた方がいいのだろう」と思ってくれているのだから、まだいいのかもしれない。けれども、シールを持って帰って手帳に貼るだけでは、一緒に飲んではいけない薬が他の病院で処方されていないかどうかチェックできない。お薬手帳を持っていないとか、忘れてきたしシールは貼らなくてもいいと言われることも少なくない。

 特に若い人は、普段あまり病院に行かないため、併用薬などない場合がほとんどだ。病院通いの多い高齢者でも、処方変更がないままの人もいる。そのため、手帳を活用するメリットがあまり感じられないのだろう。お薬手帳を持参すれば自己負担額が下がるという話をしても「そんなの別にいいから」と言われる。それでも、手帳がある方が高かった時期に比べれば、患者さんにお勧めしやすくなったのだがーー

「お薬手帳を使ってて良かった」とわかるのは、すべて後からのことだ。手帳を作った時やシールを貼った時には、「この先、手帳のおかげで助かることがあるかどうか」はわからない。だからこそ、手帳の活用を勧めるのは難しい。

 相互作用による健康被害や、重複投与などは、頻繁に起こることではない。だが、それらを防ぐためには、やはりできるだけ全ての患者さんがお薬手帳を持ち、処方内容が漏れなく記録されている必要がある。

 私が薬剤師である以上、薬物治療上の安全のためには、可能な限りすべての患者さんにお薬手帳を持ってもらい、毎回持参してもらうよう指導する義務がある。けれど、ある患者さんは、院内処方であるかかりつけの病院の処方がきちんと手帳にシールで貼られているのを持ってきてくれるのに、同じ病院にかかっている別の患者さんは「そんなの貼ってくれたことない。お薬手帳なんて一度も聞かれたことはないよ」と言う。同じ病院の患者さんなのに、どうしてこんなことになっているのか解らないが、これではますますお薬手帳の必要性は理解されないだろうーー

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 そんなある日、近所の内科クリニックからの処方箋でブロプレスが出た。
 薬歴を見ると、半年前に一度、他の眼科でアレジオン点眼が出た記録があるだけで、ブロプレスの処方歴はなかった。70代くらいの男性患者さんに薬を示しながら説明を始めた。

「こちらの血圧の薬ですけど、今回初めて飲むお薬ですか?」
「いいや、もう何年も前から△山医院でもらってたんだけど、あそこ、先月いっぱいで閉院になってねえ。それでこっちに変わったんだよ」
「ああ、そうだったんですか」

 △山医院は、私の薬局から歩いて5分くらいのところにある、院内処方の医院だ。そういえば、他の患者さんからも「△山医院が閉めるらしい」と聞いたような...と思いつつ、お薬手帳を確認する。私の勤務する薬局チェーンのマークが表紙に入った、オリジナルの手帳だ。

 いつもの癖で、今日の処方内容のシールが貼られたページから逆向きに、時系列をさかのぼるように手帳を見ていた私は、はっとした。

 今回処方された薬のシールが貼られているのは2ページ目で、その隣の1ページ目には、手書きで5~6回分ほどの処方記録が書かれている。

「ブロプレス8mg 1錠 1日1回朝食後 28日分」

 丁寧な手書き文字の横には、「△山」の印鑑が毎回押されている。そして、一番最初には、私の薬局で半年前に出した点眼薬の記録がシールで貼られていた。

 もう一度、薬歴のパソコン画面を見る。半年前の薬歴には、確かに私が投薬した時の記録が残っている。だが、お薬手帳については薬歴の末尾に「手帳新規作成、活用方法説明」としか書かれていない。多分、いつものように「毎回持参してください、他の病院の薬も毎回シールを貼ってもらってください」と説明したのだろうけれど、全然記憶になかった。

 だが、この患者さんは半年前に私の薬局で作ったお薬手帳を毎回、△山医院に持参して、△山医院でも、処方した薬の記録を手帳に記録してくれていたのだ。

 しかも、毎回手書きで。

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 この手帳を患者さんが持ってきて、「シールを貼ってほしい」と言った時、△山医院の先生はどう感じただろう。

 おそらく、半年後の閉院はすでに決まっていただろう。当然、新たに手帳シールを印字するシステムを入れることなどできるはずもない。それでも、毎月全く同じ処方内容であっても、手書きできちんと記録してくれていた。

 たった1行ずつの記載と「△山」の印鑑が、なんだかグッと胸にせまった。

 もちろん、△山先生ご自身がわざわざ手書きしていたわけではなく、看護師さんか事務員さんが書いていたのだろう。けれど「今月も同じ薬だからいいでしょ」ではなく、毎回記載してくれていた。その重要性を、きっと先生はわかってくださっていた。だからこそ、きちんと対応していただけたのだ。

 おかげでこの患者さんは、毎回手帳を持参し、薬が変わらなくても処方内容を記録する習慣ができた。そして今日も、私の薬局にお薬手帳を持ってきてくれた。当たり前のこととして。

 ーーこれはひとつの勝利と言っていいのではないか?

 たった一人の患者さんが、お薬手帳の意義を理解して実践してくれるようになったという、それはあまりにも小さな成果だろう。副作用の初期症状に気づいて重症化を回避したわけでもなく、患者さんの訴えから医師に処方提案を行ったわけでもない。ただ愚直にお薬手帳を作って、活用法を指導したというだけのことから、小さいけれども確かな勝ちを拾うことができたのだ。

 あまりにも、ささやかな勝利。それが私の胸の奥をじんわりと温めてくれた。

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 その日の帰り道、ふと夜空を見上げると、通りの向こうに「△山医院」の看板が見えた。昼間の件を思い出し、そちらへ向かってみた。

 △山医院の建物は全ての明かりが消えて、正面入り口の扉には閉院のお知らせなのだろうか、貼り紙がしてあるが、敷地の出入り口にチェーンが張られていて近づくこともできない。仕方なく、そのまま来た道を戻り、帰宅した。

 ちっぽけな勝利を拾うことができたお礼を、私はまだ△山先生に伝える事すらできないでいるーー

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【コラムコンセプト】
仕事に家事に育児と、目まぐるしい日々を送る母親薬剤師。新薬や疾病の勉強もしなきゃいけないが、家のことだっておろそかにできない。追い立てられるように慌ただしい毎日だ。そんな中で、ふと立ち止まり、考える。「働く母親って、どうしてこんなにいろんなものを抱え込んでしまっているんだろう?」「薬剤師の業務って、どうしてこんなふうなんだろう?」忙しさに紛れて気付けずにいる感情に気付いたら、働く母親に見える景色はきっといくらか変わるだろう。日常の業務に埋もれたままの何かを言葉にできたなら、薬剤師を取り巻く世界も少しずつ変えていけるだろうか。


【へたれ薬剤師Kiko プロフィール】Hetare_kiko_columm.png

卒後9年間病院勤務ののち、結婚を機に夫の地元で調剤薬局に転職。産休育休を経て、現在は中規模チェーン薬局にフルタイムで勤務。アラフォー。9歳の息子、夫(not薬剤師)と3人暮らし。食事は手抜き。洗濯は週3回。掃除はルンバにおまかせ。どういうわけだか「コトバ」に異様にこだわる。座右の銘は「モノも言いようで門松が立つ」。(Twitter:@hetareyakiko)

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