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第21回 「他の地区ではやらないのですか?」

島々の住民と共に生きる〜長崎県五島市・薬剤師奮戦記 ゆうとく薬局 平山匡彦

2019年05月09日 11:00

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嬉しいお誘い

 11月、久賀島の浜脇教会と猪之木地区のお薬説明会が終わり、さあ帰ろうとしていたときのことです。

「先生、久賀の他の地区ではやらないのですか?」と、当時の市役所の久賀担当の方から声をかけられました。当時、私一人でお薬説明会に行くことが多く、写真を撮ることもままならなかったのですが、この担当者はとても熱心で、時間があるときには同行して写真を撮ったり記録をしたりしてくれていたのです。

 私は、「もう11月ですし、冬場は海が荒れて予定が立てにいから今年はこれが最後かなと思っていたんですけど、回れそうな地区があるんなら喜んで伺いますよ」と回答しました。そして数日後、「蕨地区で婦人会のお茶会があるそうです。そのお茶会の前にいかがですかと打診がありました」と、これは嬉しいお誘いです。

案の定の時化続き

 そして12月。案の定、連日の時化続きです。時化になると船が出るのかどうかの心配が必要になります。婦人会と言ってもおばあちゃんたちの集まりですから、大雨だと集まりませんし、会場は公民館なので、あまりに寒いと皆さん凍えてしまいます。そして心配しているうちに当日の12月6日になりました。

 この日は朝から時折小雨は降るものの風はなく、べた凪で、欠航の心配はなさそうです。そして待ち合わせの港へ行きますと、予約していた海上タクシーの船長さんは、偶然にも蕨地区の出身でした。久賀に着くまでは、船の中に二人っきりなので話を聞くと、「蕨は、まだ10数世帯はあるはずだが、最近は一人暮らしの人たちの多くは介護施設に入ってしまっているので、そんなには住んでいないだろう」とのことでした。ただ、こちとらたった二人しか住んでいない黒島でも毎年やってますし、開催しても全然人が来なかったこともざらですので、人が少ないのには慣れっこです。

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海上タクシーの船長さん

こん薬は何の薬かな?

 会場に到着して準備をしておりますと、ひとりひとりと集まってきます。想像以上です。婦人会のお茶会はさすがです。嬉しいことに男性もいます。

 開催の時間となりましたので、張り切って、そろそろ始めようかなと思ったところに、近くに座っているおばあちゃんが持ってきた袋をごそごそと開き「こん薬は、何の薬かな?こん前、病院に行ったら変えられたっじゃばって」と声をかけてきました。

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こん薬は、何の薬かな?と尋ねるおばあちゃんに説明

 せっかくなので、薬を一つ一つ示しながら説明をしていますと、その隣のおばあちゃんも「私も薬ば持ってきた」と言って薬を取り出し始めます。それを見た人たちが一斉にお薬手帳や、持参の薬を出してきて、私を中心に輪ができ始め質問攻めです。

 いつもなら他にも薬剤師がいるのでどうにかなるのですが、今回は私一人です。しかし何ともまぁ嬉しい悲鳴です。「一人ずつ聞くケン、ちょっとマッチョって」と話すと、みんな笑顔になって自分の番が来るのを待ってくれます。

 いつもですと、最初に説明会をしてから、個別の相談会になるのですが、こうなったら順番なんかどうでもいいです。最初からノリのいい観客ですから、説明会が始まり紙芝居と実験とで説明をしている間にも、絶妙のタイミングでリアクションをとってくれたり、次々に疑問をぶつけてくれます。最高です。こっちも話すのに熱がこもります。

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説明会の風景

 島には診療所はあるものの薬剤師はいません。薬も看護師さんや事務の方から渡されることが多いので、薬の説明などをなかなか聞くことができないようです。“やっててよかった”そんな気分にさせてくれます。

 そして一人のおばあちゃんが「島の診療所では、お薬手帳を出しても、なんも書いてくれん」と言い出しますと、周りの人たちもそれに同調します。「困ってるようですよ、役所の職員さん」てなわけで、どうにかしていただきましょう。私からも市役所の担当部署にお願いしますからと言って別れることができました。この日は最高の説明会ができて満足です。

 さあ、次はどの島に行きましょうか。

五島曳船詩・福江島 唐人町

明人堂を訪れるときには、その裏の石碑にも手を合わせることを忘れない方が良い

 私がまだ幼かったころ、唐人町という地域があった。福江川には唐人橋という橋が渡り、橋に続く細い道路沿いには、お蕎麦屋さんなどの古い木造住宅が並んでいたのを憶えている。大晦日には、その蕎麦屋の蕎麦をよく食べたものだ。その界隈も、河川工事と道路の拡張工事で面影はなくなり、明人堂と六角井戸だけが遺っている。

 玉之浦納の乱の後、五島家の当主宇久盛定公は現在の江川町に江川城を構え、城下に倭寇の頭目である王直らを招き中華街をつくらせ交易の中心としたらしい。王直は種子島に鉄砲を伝えた際にポルトガル人の通訳として同行し、使用された船も王直のものであったらしい。もしかすると、日本に最初に伝来した鉄砲は、交易品として五島にあったと想像するのは飛躍しすぎであろうか。以前は、その交易に利用したとされる荷上場跡などもあったが、残念ながら今はない。

 六角井戸は、板石で六角形の形をした珍しい形状をしており、王直ら中国人が水を汲むための井戸として利用していたという。

23338_六角井戸.JPG六角井戸

 そして道路を挟んで明人堂がある。明人堂は、王直らが航海の安全を祈願するために建立したとされている。私の幼い頃には、小さな小屋であったが、現在は新しい立派なお堂が建ち、中には祈願のための石碑などが納められ、観光の名所となっている。

23338_明人堂.JPG明人堂

 しかし、その建物の裏手に小さな古い石碑があることは意外と知られていない。これらの石碑は、明人堂建立のために犠牲になった少女と、その母親のためのものと聞く。

23338_裏手の石碑.JPG明人堂の裏手にある石碑

 明人堂を訪れるときには、その裏の石碑にも手を合わせることを忘れない方が良い。華やかな歴史の裏側には、ひっそりと後ろで支えるものが佇んでいるものである。そこには、悲しい歴史と母の大きな愛が眠っている。

【コラムコンセプト】

読者の皆さんは、薬局もなく薬剤師もいない離島があることを、そして、薬剤師とはどんな役割を担う医療者なのかを知らない人がいることをご存じですか。私は長崎県の五島列島にある福江島で、ゆうとく薬局という小さな薬局を経営している薬剤師です。長崎県薬剤師会離島対策委員会の活動として、東京大学の澤田康文教授との共同研究で、離島住民の医薬品適正使用に関する調査研究を行っています。これからしばらく、私の周辺で巻き起こったドタバタ劇を紹介させていただくことになりました。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

平山匡彦ひらやまただひこ氏 プロフィール】

大学では、写真部やハンドボール部など複数のクラブを掛け持ちするなど充実した学生生活を送る。卒業後は、石川県金hirayamatadahiko.jpg沢市の徳久和夫先生、綿谷小作先生に師事し、その後、郷里の長崎県五島市へ戻り、平成10(1998)年よりゆうとく薬局を独立開業。仕事の傍ら、友人たちとNPO団体を設立し、タウン情報誌の発行の他、さまざまな島おこし活動を行う。薬剤師会の活動としては、平成29(2017)年現在、一般社団法人長崎県薬剤師会理事及び一般社団法人五島薬剤師会理事を兼任。長崎県薬剤師会の離島対策委員会に所属し、東京大学の澤田康文教授の指導による離島住民の医薬品適正使用の調査をきっかけとして、現在、薬局がなく薬剤師が存在しないような島々を巡りながら、薬の説明会や相談会を継続開催している。

ゆうとく薬局:http://www.yutoku-ph.jp

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